黄金の小路



プラハ城内に黄金の小路と呼ばれるメルヘンチックな路地がある。
15世紀末に城壁回廊下のアーケード部分を利用して簡易なシェルターが造られた。
が、1541年の火事で焼け落ち、1597年にルドルフ二世の指示により木造建ての家屋
に建て替えられた。ルドルフ二世は政治にはあまり関心がなく、学究肌で錬金術師
たちをここに住まわせて黄金細工や不老長寿の秘薬を作らせていたとの伝説があり、
そのため黄金の小路と呼ばれるようになったということだが、実際には城に仕える
番兵たちを住まわせていたようだ。

その後マラー・ストラナの火事に焼け出された鍛冶職人や低所得者たちが移り住んで
くるようになり、家並みは一時スラム化したが、18世紀にマリア・テレジアが木造
から石造りに造り替えさせ、20世紀の初頭にようやく現在見られる形になった。
100メートルほど続く狭い路地のカラフルなファサードは人形アニメの巨匠として世界に
その名を知られるイジー・トルンカによるものである。

やがてインスピレーションを得ようと芸術家たちがここに住み始めた。22番の青い家には
フランツ・カフカが1916年から1917年まで住んで著作活動をしていたといわれている。

家並みの二階部分は回廊のままになっていてつながっており、中世のよろいや槍などが
陳列されている。骨董屋もある。西端は16世紀まで牢獄として使われていた白塔と連結
していて、突き当たりの部屋には拷問器具などが展示されている。

東端には円柱型のダリボルカ塔がある。1498年に最初に投獄された騎士の名前をとって
名付けられた。一揆により追放された領主の逆恨みで投獄されたダリボラはヴァイオリンを
所望し、牢で毎日のように弾いていたという。スメタナがこれに題材を見出し、オペラ『ダリボル』
を書いている。




黄金の小路です。片側だけにカラフルな家並みが
続きます。手前の青い家にはかつてカフカが住んで
いました。今は本屋さんになっています。


20番の家はこの小路で最も古い家と言われています。
二階の外壁に藁のようなものでできたバイオリンが掛け
られ、中が楽器屋さんになっています。隣の青い小さな家
ではパッチワークや布袋など手作り小物を売っています。


二階の回廊には中世の鎧兜や・・・

槍などが陳列されています。

12番の家をくぐるとオープンスペースに抜けます。
左側にダリボルカ塔があります。

石の階段を下りると一つ目の牢屋に出ます。ここで
騎士ダリボラはヴァイオリンを弾いていたのでしょうか?

更に階段を下りると・・・

もう一つの牢屋があります。ダリボルカ塔は18世紀まで
牢獄として使われていたそうです。




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