8月12日

ベルリンからアウトバーンをドライブして二時間半ほどでワイマールに着いた。
森に囲まれた美しい町でお宿はヒルトンホテル, すぐ近くに広大な公園があってお散歩に便利だったよ。

1755年にカール・アウグスト公に招かれてワイマール公国にやってきたゲーテはそのときまだ26歳の
若者だった。ワイマールをすっかり気に入ったゲーテは82歳で亡くなるまでずっとこの町に住み続けた
らしいよ。ゲーテは詩人、文豪であるばかりでなく、政治家、自然科学者、建築家としても一流の人だった。
天才だったんだね。
ゲーテより10才くらい若いのに彼より早く亡くなったシラーとゲーテは大の仲良しで、性格は異なるけど
毎日のように会って一緒にワイマールの町をお散歩したり、互いのお家を行き来して議論を戦わせたり、
一行ずつ詩を書きあったりしていたんだって・・・。劇場前には手を取り合っているゲーテとシラーの像が
あったよ。

1918年に当時世界でもっとも民主的だと言われたワイマール憲法が制定されてワイマール共和国(ドイツ
共和国)が誕生したけど、ヒトラーが政権を握るようになったのでわずか14年で共和国じゃなくなってしまっ
たらしい。

シラーが『ウィリアム・テル』を書いたお家に行ってみた。簡素で感じのいいお家だったって中を見学して
きた母さん、言ってたよ。
ゲーテのお家はね、アウグスト公から賜ったとても大きなお屋敷で、一級品の絵や彫刻で飾られ、お友達
と一緒にミニコンサートを楽しむためのお部屋もあったらしいよ。ため息がでるようなすてきなお屋敷だった
って・・・。父さん、母さんが代わりばんこに見てきたの。
ワイマールにはね、ゲーテやシラーのほかにバッハやリストも住んでいたんだって。
文化の香り高いこの町に風子たちは2泊してのんびり過ごしたの。

それにしてもマルクト広場で食べたソーセージ、おいしかったなあ!
長い、長い行列に並んで父さんが買ってきてくれたの。
やっと父さんの番になって、小さなパンにはさんでもらった大きなソーセージにマスタードを塗ろうとしていた
ら、近くにいたドイツ人のお客さんがにこにこしてやってきて、「こうやって塗るんだよ」と言って父さんの
ソーセージにマスタードとケチャップを塗ってくれたんだって。
代々ゾンマー家が家族経営しているという古いレストランや劇場カフェでもお食事したけど、
そしてどちらもとてもおいしかったけど、広場の屋台のソーセージの味は忘れられないよ。

ホテルの窓からは緑の丘や森が一面に見渡せた。
眺めているだけでなんだかとても幸せな気持ちになれたよ。




ヒルトンホテルのすぐ近くにある公園は広くてとてもきれい
でした。町の中心までずっと続いていて、ところどころにベンチ
が置いてありました。。

公園の小高くなっているところにマットを敷いてミニピクニック。

背後に見える茶色とベージュの家は実はつながっています。
ここにゲーテが50年以上住んでいました。

ワイマールの落ちついた町並みです。

マルクト広場の屋台の前にはこんなに人が並んでいました。
小さなパンに焼きたてソーセージをはさんでくれます。

二人と一匹で二個のソーセージを分け合いました。
レストラン「ゾンマーズ」です。1868年から続いているという
だけあって、磨き上げられた床や家具は大変古いものでした。
チューリンゲン産ワインもおいしかったです。



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